泣かずに、みられるだろうか。
なにしろ、家族そろってみているのだ。
母が泣いたら、小さな子どもが不安がるではないか。
泣かないぞ~。
私は、涙もろいわけではない。
とはいえ、今年のこの大河ドラマ『新選組!』には、何度もやられている。それも、いきなりやられる。
はたして、最終回に、泣かないでいられるだろうか…とっても不安だった。
物心ついてからずうっと毎年、大河ドラマをみている。
途中でみなくなった年は、ほんの数年だ。
「大河ドラマで、三谷さんが新選組をやる」とはじめて知ったとき、
NHKの並々ならぬチャレンジ精神に感動した。ドラマの出来不出来にかかわらず、応援したいと思った。
(でも三谷さんのことだから、きっと楽しませてくれるに違いないと思ったけどね)
不安は、キャスティングだった。なにしろ『燃えよ剣』は、私の高校のときからの愛読書である。近藤勇が香取くん…ときたら、はたして誰がトシ(土方歳三)をやるんだ。
そのうち、佐藤浩市さんが、主要な登場人物と知って「やった~」と大喜びした。彼がトシをやるのだと勘違いしたのだ。佐藤さんがトシだったら文句なかったのに…と、ちょっとおもしろくなかった。山本耕史って、誰?
山本耕史asトシを始めてみたのは、本放送が始まる前…去年の紅白歌合戦だ。
違う、と思った。
だから私は当初、佐藤浩市as芹沢鴨ばかりみていた。
見事な芹沢さんだった。むずかしい人物だが、性格設定にも破綻がなかった。ずっと近藤たちこわっぱを圧倒しながら弱さも併せ持ち、自分の死に場所をさがしていた。
紅葉狩りの美しいシーン。
京を離れて、寺子屋の先生でもやろうよと鈴木京香が誘う。
「がらじゃねえよ」と芹沢さん。「そう?とってもあなたらしいのに」と笑われる。
その言葉通り、このドラマの芹沢鴨は、近藤らこわっぱたちを導き、最期に自分を踏み越えさせて大人にする、とても重要な役回りだった。
八木家の娘が、男装しているという設定があった。女好きのトシが気づかないという、変な設定なのだ。ところが、トシにはずっとわからなかったが、芹沢さんは一目で見破っていた。芹沢さんにはかなわないと、トシは悔しく思ったはずだ。
芹沢さんと斬り合ったトシは、あぶないところだった。芹沢さんの遺体をみながら、トシはまるで象とでも戦ったかのように、大きく肩で息をついていた。
あのころからだ。こわっぱでなくなったトシが危うくて、みていられなくなった。とても繊細なひとだ。ほんとはそんなことができる人じゃない。(なぜなら山本耕史の顔は、あまりにも優しすぎる)。なのに、かっちゃん(近藤勇)のために、そこまでやるか~、という連続になった。
山南さんが切腹した夜、自然な成り行きで、とうとうトシは号泣した。泣かずにいられなかったのだ。すると隣でかっちゃんも泣き出したから、私は、「いっしょに泣いてないで、肩くらい抱いてやれよ~」と、心の中でかっちゃんを怒った。
かっちゃんは、トシの肩を抱きよせてくれた。
私は、泣けた。いっしょにテレビをみていた五歳の三男坊を、思い切り心配させてしまった。
トシが、本願寺の太い柱に、自分の頭をがんがん打ち付ける回もあった。会計の人を切腹させた回だ。あれもつらかったなあ。
結局、終わってみれば一年、トシばかりみていたような気がする。(洋装、美しゅうございました…)
そして最終回。
物心ついてからずうっと毎年、大河ドラマをみている。
だが、一年見終わったあと、これほど登場人物たちといっしょに駆け抜けたような、爽快感、疲労感、達成感を感じたことは、かつてない。
大河ドラマは、私にとっては、歴史を勉強するための教材ではない。家族そろって楽しめる、歴史ドラマだ。昔、こんなふうに人々が生きていて、死んでいって…ということを感じられれば、それでいい。
芸達者な人がたくさん脇をかため、とても楽しめる一年だった。制作スタッフキャストのみなさんに感謝、感謝である。
来週からさびしくなるなあ。
私は、かっちゃん(近藤勇)が、斬首される前にいう、最期のセリフはなんだろうと、ずっと思っていた。
だから、最期のセリフをきいて、とってもうれしかった。「だよなあ」と思ったし、よかった…、と思った。続けて回想シーンが流れ、どうっと泣けてきた。
またまた、三男坊を、思い切り心配させてしまった。母はもろし。ほんとにごめんね。
最期のセリフは、「トシ」だった。
(…この記事はこちらの記事に刺激されて書いております。)